2013年3月31日日曜日

春休み② 〜Ornette Coleman & Dryer〜

ボストンで美味しいものを食べた後は
最低賃金並みの食生活で1週間やりすごしました。
冬休みの余り物で今日まで何とか生き延びた次第です。
どんなもの食ってたのかは、想像にお任せします。

さて、このひと月半ほどでしょうか
トンネルの中にいました。今もまだその中なのかもしれません。

音楽面の話です。
悩み事も一晩寝て起きたら割と忘れるほうだと思ってた自分には
比較的長いトンネルで
この先ずっと抜け出せないような気すらしていました。

いくら練習してもなかなか改善しない。
むしろ悪い所ばかりが次々と見えてくる。
自信のない演奏をして、当然悪い演奏となり
さらに自信をなくす。
今は溜まりにたまった膿をひたすら出している時期だと
理解しようにも、中々きついものがありました。

過去形で書いてはいますが、まだ抜け出したとは言い切れないです。
ただ、この春休みで、何か少しの光明が見えてきた気もしています。

練習のスタイルも今までとだいぶ変えました。
あまり計画に縛られずに
あれもこれもやらなきゃ、時間内にやらなきゃという発想を捨て
その日の気の向くままに
少ないことに集中して、あまり時間に縛られずに
かつ意識を研ぎ澄ませるように心掛けています。

一度にいろんなことを盛り込んだ練習だと
焦点がぼやけて、何に取り組んでいるのかが見えにくい。
結局、何となくやった気にはなるけど
具体的な改善点があまりない。
何となくわかってたことではあったけど
最近ようやく本気で気がついたように思う。

この新しい取り組みの効果が出るのは
まだまだ先のことだと思うけど
ちょっと今までとは違う期待をしている。
何しろこのスタンスで練習に取り組むと
リラックスできるし、楽しく感じられる。

それはさておき
この春休み前に突然
「Ornete Colemanのスタイルで曲書いてこい」
という謎の課題を出されて。
何とも難しい、けれどもちょいと魅惑的な課題。
で、久々にOrnetteの音楽を念入りに聴いてみたわけです。
正直、彼の音楽はこれまで素通りで聴いただけで
本気で聴いてはいなかった。いや、というより
本気で聴いても、結果素通りしただけで終わっていた。

しかし!!
昨日、かなり久々聴いた「The Shape of Jazz To Come」
言葉では言い尽くせない衝撃と興奮。
いつも乗るバスの中で聴いてたら、すべての景色が変わった。
何じゃこれー!これだよ、これ!と心の中でつぶやく。
いやはや、この名盤。
とんでもないってことに、ようやく気づきました。
並大抵のライブ演奏ではかなわないくらいの衝撃を
たかがi Podから受けてしまった。

最近、古きも新しきも何聴いても
世界が開けるような凄まじい感動を味わえずにいたんですが
久々それがやって来ました。
停滞気味だった自分の音楽心に、久々目の覚めるようなパンチ。
ただただ嬉しいです。

それにしても一昨日聴いた「Something Else!!!!」では
正直、それほどの衝撃はなかった。
むしろOrnetteはこのデビュー盤では
語法はともかく、音楽の全体像としては
こんなにもオーソドックスなことやってたんだなって
逆に衝撃を受けたくらいだ。
Something Elseが1958年、The Shape Of Jazz To Comeが1959年。
いったいこの1年で彼に何があったというのか...





そういや
最近、家の乾燥機がずいぶんと乾きが悪くて
性能が如実に落ちていて困っていたんです。
来たばかりの頃は
1回まわせば洗濯物が完全に乾ききって
ホカホカで出てきたのが
2、3回まわしてようやっと乾く、みたいな感じ。

昨日ようやっと原因を突き止めましたぜ。
乾燥機の中、奥の背面にある通気口らしき所を見ると
何やらpullやらcleanやらの文字表記。
もしやと思い、中を引っぱり出してみると
大量の!大漁の!!ホコリが!!!
まるでフカフカの布団のごとく詰まっているではありませんか。

そのあまりの詰まりっぷり、納まりっぷりに
これは元々必要なものとして入ってるフィルターか何かかなと
勘違いするくらい。

読めば、ここは定期的に掃除してくださいね
みたいなことらしい。
出てきたホコリの山、500ミリペットボトル2本分くらい。

取り除いた今、乾燥機の性能、見事に復活。

ニューヨークもようやく暖かくなって
春を感じられるようになってきた今日この頃。
いろんな意味で、光明が見えてきた気がしています。

オーネットを聴きながら、ハムカツサンド。
さすがに食料尽きた昨日、日本食スーパーで購入し
まるで彼の音楽のように勢いよく頬張りました。
ハムカツにトマトは初めてだったけど、合うね。
この粋なトッピングといい、整頓されたはさみ方といい
実に日本人らしいサンドイッチと思いましたよ

春休み① 〜In Boston〜

ほんの1週間ですが、今日まで春休みでした。
1週間とは言えいろんなことがあって
いくつかの大事な発見があったので
とても貴重な時間でした。

まず先週末、ほんの2泊(実質1日の滞在)だけですが
ボストンに行きました。
大学時代の仲間と旧交を温め、久々に「観光」をしました。
ボストンまではバスで4時間、片道15ドルで行けちゃうんですね。
しかも日本の夜行バスよりも快適なバスでした。

行く前の事前情報では
とにかく「旨い海鮮食っとけ」という人が多々だったので
旨い海鮮ばっかり食いました。
ロブスター、オイスター、クラムチャウダー、ターターダー...
                                     獰猛なるロブスターたち
(直後彼らは獰猛極まりない人類の胃の中でまんまと消化された)

男3人グルメ旅みたいな感じで少々気色悪いですが
観光した場所を振り返ると、実にアカデミックな旅でした。
なぜならハーバードを見学し、MITを見学し
ボストン美術館で締めるという
これ以上ないアカデミズムコースだったからです。
これは想定外でした。
ノープランな男たちは、話してるうちになぜだか、それを選んだ。

中でもボストン美術館は
自分にとって重要な訪問でした。
大学時代、ほとんんど何も勉強しなかった自分ですが
最後の最後、卒論だけは本気で書いたわけですが
その時のテーマが岡倉天心でした。
その岡倉が初代日本美術部長として
日本の美をアメリカに紹介する拠点としていたのが
ボストン美術館だったわけです。

彼の思想や生き様に今でも魅了され続けている自分にとっては
この場所に足を踏み入れただけでも意義深かったのですが
単純に、久々の美術館見物が楽しくて刺激的で
思わず帰り際、売店で本を買ってしまった。
これまでそんなことしたこともないのに。
日本語の本です笑。(英訳付)
日本美術のコーナーに一番時間を割いて見学したあと
抑えきれずに買ってしまったのがこれ。衝動買い、ではないはず...
別に着物に格段興味があるわけではない。

しかし、日本の「色」ってのは本当に繊細、芸が細かい、美しい。
これは欧米にはない。彼らは基本べた塗りが好きだから。
しかも、日本の色にはこれまた絶妙な名前がついている。
たとえば僕の好きな緑色ひとつとってみても
萌葱色、柳色、松葉色、鶸色、錆御納戸、柳鼠、木賊、青竹色
と、この本(左)で紹介されている。美しい着物の写真とともに。
読み方全部わかりますか、ってわかるわけないですね。

まあ何と言うか、アメリカで生活していると
日本とアメリカ、それぞれのいい所、悪い所
様々に感じることがあるわけです。
その中で一つ確実に思うのは
日本の美的な繊細さ、巧妙さ、職人的なこだわり。
これはきっと世界に誇るべきものだろうということです。

そして少々大それたことを言えば、
1人の日本人として音楽をやっていく上で、
この日本的な美というのを、常にどこかに隠し持っておきたい。
別に隠す必要はないですが。
実を言うと、これらの本を買った最大の理由は
作曲面で何かインスパイアされうる気がしたから。
曲名とかつけるときにも笑。

ともかく、ボストンはNYCとは違い
街が綺麗で落ち着いていて、歩いてるだけでも楽しい。
また行きたいと思わせる街でした。


2013年2月10日日曜日

美を感じるポイントについて〜不自然なことと自然なこと〜

昨日はニューヨークを
雪嵐(snow stormを直訳しただけ)が襲いました。
今朝は40センチくらい積もってました。
学校は休みになり、バスも運休。
食堂は早々閉鎖になりましたが
この手のことには慣れました。
麻婆豆腐つくって食べました。
(レトルトに豆腐とひき肉突っ込んだだけー)

それよりも、先週末から喉と鼻がおかしい状態がずっと続いていて、
熱とかは全然ないんですが、とても厄介に感じています。
もう1週間経つけど、悪化もしなければ改善もしない。
何とかしてくれー、man!

で、今日は友達の出演するダンスのショーを見てきました。
キャンパスの中でやってたんで、移動の苦もなし。

それを見て、ちょっと思うことがあったんで
書き残しておきます。

何を思ったかというと

不自然なことが自然になされたときに人は美を感じるのではないか

ということです。

突然、何言ってんだこいつ!←正論です。
別にかっこつけようと思って書いてるわけではありませんので
悪しからず。

今日のダンサー達の動きは
はっきり言って人間にとって不自然でしかない
(少なからず僕にはそう思えた)
けれども、それをまんまと自然に演じていたので
自分は美しいなと思ったわけです。

自然なことを自然にやったら自然でしかない。
(おそらくこれが日常ってやつですね、会話とか歩行とか)
不自然なことを不自然にやったら不自然でしかない。
(石につまずいてこけるとか)
自然なことを不自然にやったら滑稽あるいは未熟でしかない。
(訛りとか、ロボットの動きとか、覚えたての言葉を話す子供とか)

で、世間一般に美しいと言われるものって
「不自然が自然」になってることなんじゃないかと
今日の彼らのダンスを見ながら思ったんです。

よほど凄いときは
美しさを感じるとともに
ある種の恐れ、畏怖のようなものすら感じる。

当然、自分の関わっている音楽にも同じことが言えると思います。

音楽は人にとって自然なものだと言う人もいると思いますが、
思うにやっぱりどこか不自然な存在です。
不気味と言ってもいいかもしれません。
雑音や騒音や吐息の音のほうがよほど自然に思えます。

けれども素晴らしい音楽は
本質的な不自然さを持っていながら
あくまでも自然の装いで聴こえてくる。
だから美しいと感じる。

自然というのを「力が抜けている」
と言い換えてもいいのかもしれません。
が、それだけではないような気がします。
この先はよくわかりません。

逆に、本来不自然なものである音楽が
不自然なまま聴こえてくる時ほど苦痛なことはない
という感覚はおそらく誰もが経験したことがあると思います。
音痴なカラオケや、
隣近所から聴こえる酷すぎるピアノ
あるいはバイオリンの練習の音とかですかね。
んー、この例えは違うかな。まあこの辺はよくわかりませぬ。

ともかく、ひるがえって
自分は音楽をいかに自然なものとして表現できているか

あまりにも巨大な命題で考えるのも嫌になりますが
(あるいは考える意味があるのか疑ってしまいますが)
いつもどこかに忘れずにしまっておきたい命題ではあります。

いつだったか、
秋吉敏子さんがテレビのインタビューで

即興演奏という芸術を自然に行うのには
ものすごい量の鍛錬がいる

というような主旨のことを語っていたのを思い出した。

今日のダンサー達も
日々ものすごく鍛錬してるのは間違いない。


と何だかかっちょよく書いてしまいましたが、
現実に戻れば
ああ週明けまでにアレンジ完成させて
曲完成させて
英語の勉強再開して
ジャズ史の英語の文献読んで
よくわからん風邪さっさと治して
練習のペースを戻さなきゃー

See you soon!

(注)ご覧の通り、みそ汁もレトルトです。悲しかー。

2013年1月1日火曜日

Happy New Year 〜アメリカに来てからをざっと振り返ると〜

大変ご無沙汰してしまいました。
アメリカに来て、早4ヶ月。
夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬を迎え、
今や新しい年を迎えようとしているのですが、
もはや歳月の経つ早さには驚かなくなりました。

この4ヶ月を総括しようかと思って書き始めたものの
いったい何から書けば良いのかわからなくなるほど
いろーんなことがありました。

アメリカへの渡航日。
デトロイトでの乗り継ぎの際は次の便までの時間があまりに短く、
超重い手荷物と楽器を抱えて空港の中を長距離走らされ、
無事ニューヨークに着いたと思ったら、
今度はデカスーツケースの足が1つ完全に壊されてなくなっている。
なんでやねん、どんな扱いしてんねん、と嘆いたものです。

あの日から、4ヶ月。
一言、本当に来て良かったと思っています。
毎日、それはもうジャズに音楽に浸りまくっています。
素晴らしい先生たちにあらゆる側面で開眼させられ、
非常にハイレベルな学生仲間に刺激を受けています。
もちろん、こっちだって彼らの刺激剤に少しはなってるはずです。
が、自分は本当にまだまだまだまだで、日々必死こいてやってます。
くらいつき、少しづつ階段を上っています。

英語に関しては、
半期を終えたい今でもまだまだ聞き取りに困難を感じる毎日です。
聴き取れない事に慣れてきたというか。

来た当初は
"Cheese Burger"をカフェテリアで注文するだけなのに、
何度言っても通じない。
俺がアジア人の顔してるから、
このなめた店員は意地悪してるに違いないと思ったものです。
Cheeseの"Che"が発音悪いようでした。
"Birdland"は未だに1回で通じた事のない単語です。
この言葉、東洋人にはとても難しいRとLが
両方しかも近接して含まれている。
だから例えば、友達や先生に
"I will go to Birdland(ヴァドゥランドゥ) tonight!"とか言っても
"Ha?"(どこそれ、そんな場所知らんし)
みたいな反応を3回くらい経験しました。

とにもかくにも
コミュニケーションの取り方にはいい意味で慣れたし、
会話に恐れを抱くことはなくなってきたかなと。
対面はまだしも、電話は当初かなり恐れてましたけど
ライブや美容院(今行ってるのはカット&シャンプーで12ドルの安いとこ、でも8割バリカンでやられる。でも短髪だからあんま問題ない)の予約くらいはほぼ問題なくなった。
そりゃそれくらいできなきゃですけど。

一番の問題は、やっぱり授業。
今でこそ慣れてはきたものの
おそらく40〜60%くらいしか聴き取れていない。

例えばJon FaddisというSuper TrumpeterのJazz Historyの授業では
Dizzy Gillespieは、Oscar Petersonは、こんな話をしていたとか、
Count Basieとあんなやりとりをしたとか、出てくるわけです。
こういう時ほど英語を聴き取れない自分を嘆くことはないわけです。

あるいはPrivate Teacherであり
My Most Favorite SaxophonistのJon Gordonがレッスンで
Phil Woodsはこう言ってたとか、
Charles McPhersonからこんな教えを受けた
なんていう話が飛び出すわけです。
こういう時ほど英語を聴き取れない自分を嘆くことはないわけです。

さらにあるいは、作曲の授業を受けている
Guitar LegendのJohn Abercrombieが授業で、
ColtraneやBill Evansを生で聴いた時の話をしてくれる。
あるいは自分自身の作曲に対する考え方を語ってくれる。
Incredible BassistのTodd Coolmanがアンサンブルの授業で
Joe Hendersonとrecordingした時のことをおもむろに話し始める。

当然の事ながらすべて英語なんです。
こっちでやってく以上はここをクリアしない限り
全てを受け取る事はできない。当たり前ですけど。
こっちの人は相手がどんな顔していようと
(つまり白かろうと黒かろうと黄色かろうと)
英語は通じるもんだと思って自分のスピードで話してくれる。
僕自身、この文化はとても好ましいものだと感じているのですが、
いかんせん自分の英語耳は全くもって好ましいと感じていない現況なのです。

いずれにせよ、英語での生活や授業をちゃんとできるようになるには
まだ時間がかかりそうです。
そしてこれからは聴き取れない時にはっきり相手に伝えていこうと思います。
とは言え、日々のとりとめもない友達とのやりとりに
いちいち"Pardon? Speak slowly, please."
なんて言ってらんないですからね。
もっとトレーニングしなきゃいけません。
10月くらいまでは結構まじめに英語学習継続してたけど
最近さぼっている。

さっき、英語の学習も兼ねてと思って買った
映画"Bird"(言わずと知れたCharlie Parkerの伝記映画)のDVDを
英語字幕で見たんですが、
ほとんど詳細つかめなかった。雰囲気はつかめた笑。
この映画、高校生の時に初めて見て以来見た。
当時感じた“ジャズ=酒と薬と女にまみれた大人の夜の音楽”
という雰囲気だけ覚えていて内容は全然覚えてなかった。
もちろん高校生の時は日本語字幕で見たんですが。
今改めて見ると、
Bird(言わずと知れたCharlie Parkerのニックネーム)の
音楽の素晴らしさだけは見ていてよくわかった。
ちなみにBird役の演奏を吹き込んでるのはCharles McPhersonなんですね。で、Dizzy役はJon Faddis!

ここまでつらつらと書いてみましたが、
本当に日々得るものが多くてありがたく感じています。
とは言え、授業はそれほど多くなくて、
今学期は上に挙げた4人の先生の授業だけ。実にシンプルでいい。
これは単純にMaster Degree(修士課程)だからという理由です。
その分、みっちり個人練習の時間も確保できるし音楽を聴く時間も作れる。

そして、忘れちゃいけないのがライブ鑑賞。
びっくりするくらい毎月毎週見たいライブがてんこ盛りなんですね。さすがNYです。
見たいもの全部行ってたら破産するので
今はOlder Jazz GiantsとSaxophonistを優先してます。
それでも尚、たくさん行きました。いろいろ学び感じ取っています。
このことについては、また改めて書こうかなと思っています。

最後に、食事のことを一点だけ。
この4ヶ月で、渡米前の全人生で食べてきたピザの
50倍のピザを食べました。
ちゃんとした統計ではないです。
が、少なくともそういう気分です。
以上です。

さて、書いてる間に2013年を迎えました。
昨年は本当にたくさんの方にお世話になりました。
この場を借りて心から感謝申し上げます。
というか、これから長い年月をかけて感謝を形にしていきたいと思っています。
新年、だけでなく今後とも末永くよろしくお願いいたします。